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金沢市長村山卓様、野々市市長粟貴章様のご臨席をいただき、皆様のご参加のもと、ベルギー王国の首都、ブリュッセルの朧月堂に「百万石能の会欧州本部」設立の日を迎えました。

両市長様のお立ち合いのもとで、当会三十年の歴史に新たなページを開くことができますことに、まずもって、心より感謝申し上げます。

1992年、両親によって「百万石謡の会」がつくられました。目標は、文化の「継承」と「発展」。

以前は、結婚式で高砂の謡が、たちまいで鶴亀の謡がありました。そうしたことが生活の中から消えていく、このことを心配して、集まって謡を謡う、老人センターで子供が仕舞を舞うなどの活動を続けました。

謡を謡うだけか、と思われるかもしれませんが、文化は、この「する」ということなくしては、「存在」し、得ないのであり、これが、文化を伝えることの本質です。すなわち「実践」が、文化の継承のキーワードであり、この主題が、百万石能の会に受け継がれています。

もう一つの目標である「文化の発展」。これに向けて、自分は何ができるのか、考えてきました。縁あって、パリ日本文化会館初の客員教授となり、パリのソルボンヌ大学や音楽院、リヨン、トゥールーズ、ストラスブール、ナンシーなどの大学や高等学校で能の講座を行うことになりました。

学術的な講演はすでに行われており、能の研究者ではない自分は、どのような講座ができるのかと考え、フランス人に「実践」してもらうことにしました。

能は見るもの、講義は聞くものと、とらえられており、実践と講義がミックスした能の講座は、フランスで初めてでした。その中身とは、まず、学生たちに正座してもらう。正座は、日本の文武二道の基本の型です。それができない。そこには、靴を脱ぐ、脱がない、という日常生活の違いがありました。

次に、謡を謡う。謡を謡うときは腹式呼吸、お腹から声を出します。それができない。フランス語の発声の仕方と全く違っていました。リズムを考えないで繰り返す。哲学が必修の教養であるお国柄、考えないで、ということができない。学生たちは、この「できない」ということに、逆に、強い関心を示しましたが、私は、日本と欧州との文化の違いをあらためて実感しました。

この活動の継続により、多くの出会いからお付き合いが広がり、ベンさんは、今、ここにいらっしゃいます。

欧州で鼓の講座やワークショップを年に数回行なってきましたが、私は、この欧州と日本との「行き来」から、これからの活動への確信を得ました。

日本から欧州へは、東から西、飛行機はユーラシア大陸を飛ぶ。その飛行機にはGPSの画面があり、それを見ると、欧州は、大陸の西の端、日本は東の端です。

若い頃にナンシーの大学の夏の講座に出かけたことがあり、文化人類学の講義の中で、ユーラシア大陸の東西文化の起源は、真ん中のインドの文明にあり、長い時間の人の行き来によって東西に文化が伝播し、形成、発展したという話を思い出すことができたのです。

かくも異なる文化の起源が同じであり、人の「行き来」が続けられたことで、それぞれの文化が発展した。人の「行き来」とは、すなわち「交流」であり、交流こそが、文化の「発展」のキーワードであると確信しました。

ここに、欧州に交流の拠点を設立する意義があると考えます。

欧州本部を置くブリュッセルは、国際高速列車タリスで、北は、オランダ、ドイツ、南は、フランスへと結ばれています。言語は、その文化圏を表します。ブリュッセルは、フランス語、オランダ語、ドイツ語、英語などさまざまな言語が行き交う都市であり、東西に加え、南北の文化圏にもアプローチできるという「地の利」があります。

実際に、パリの実践講座では、参加者の言語は、フランス語だけですが、ブリュッセルでは、フランス語だけでなく、オランダ語や英語の方が参加しています。

この「地の利」を活かし、来年には、鼓の実践講座とワークショップの拡充、文化活動ビザによる長期研修生の受け入れの定例化、シャモニー音楽祭への参加やパリ日本文化会館知的交流事業による学生の金沢受け入れ、2024年には、ブリュッセル朧月堂と、現在、パリ十七区で整備中のパリ道場でのこけら落とし公演を行うほか、我が国の武家社会からの歴史ともかかわりを有する、オランダのアムステルダム、ロッテルダム、ドイツのケルンなど歴史都市のアーチストたちと連携を図り、加賀百万石が育んだ能文化のワークショップを開催するなど、新たな交流の道を拓き、「線から面」へと活動の幅を広げていきたいと考えています。

一方、ここ此花道場でも、野々市市の木戸舞台「舞遊殿」との連携のもとで、さまざまな文化交流が進んでいます。

昨年、ブリュッセルから、文化活動ビザによる能の研修生を初めて受け入れ、南アフリカの横に位置するレユニオン島の中学生たちとの、能とお茶をテーマにしたオンライン、ワークショップが始まりました。

今年からは、北極圏に位置するアイスランドのアーチストたちと、能のデザインと色彩をテーマに、オンライン、文化交流が始まり、明後日には、ベンさんも参加して木戸舞台で野々市市の子どもたちとの能の交流会を予定しています。

外国の人が、鼓を打つ。謡を謡う。舞を舞う。想像を超えることへのチャレンジもまた、これからの文化交流の役割であると思います。

能は、武家社会によって支えられた武家文化です。その武家社会の礼装が、今日のこの烏帽子直垂であり、本日をこの礼装で迎えさせていただきました。江戸期以降、日本は、大きな変化に出会い、それらを受け入れて、適合してきましたが、コロナ禍という未曾有の危機に遭遇している今、多くのことが変わろうとしています。

この禍(わざわい)は、しかし、私たちに、とても大事なことを教えました。それは、変えてはならないものを見極める必要がある、ということです。

文化は、生活の質に関わる豊かさそのものであり、そして、人が「行き来」する、このことが文化を発展させてきました。つまり、交流こそが豊かさの原点であり、その悠久の歩みをここで止めてはならない、今は、その「天の時」です。

そして、文化の「実践と交流」に力をくださる「人の和」が、今日(きょう)の皆様であり、この「天の時」、「地の利」、「人の和」を得ることで、さらなる豊かさへの道を拓くことができる。

欧州本部は、東と西、そして南と北とを結ぶ、欧州の「文化の十字路」に位置しています。

この新たな起点から、オンラインという最新技術も加えた「新しい形の人の行き来」をつくり出し、いにしえの「絹の道」に習う「文化の道」の確立を目指して参ります。

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